主人公の非常識さが現実の不条理さを反転させる

恋人がベリーダンスに出かけている間に,日記を書いている.福岡に戻ってきてから一人の時間がほとんどなかったので,2日間ほど日記を書けなかった.恋人と一緒に暮らし始めて浮かれている時期だったから仕方ないとして,各自の用事が増えてくるにつれて,お互いの時間を持つようになるのだろうと思う.引越しの後始末は僕が京都に戻っている間に恋人がほとんど終えてくれているのだけれど,作業スペースについてはデスクをこれから作らなかったりいけなかったりと,まだ構築途中ではあるので,寝室のテーブルで仮にタイピングをしているのだ.

今日は土曜日で1週間後にはイベントが始まっていし,火曜日からは京都に戻って設営が始まっているのだ.昨日にプロジェクターが確保できていないということがわかってどうしようとなっているが,コミュニケーションと不確実性のことが相まって,頭の中で一定量を占めているのはめんどくさいなと思う.さっさと寮のプロジェクターや心当たりのある二人くらいに話しておいて,それでダメならまた別の手段をとることにしておいたらいいと思うのだけれど.あるいは大学の先生とかが貸してくれたりしないだろうかと思ったりもするが.

博論の公聴会が終わって先生とお酒を飲んでいる時に,大学で唯一アートをやっている先生との共同研究の話になったが,結局僕はあの先生とは絡まなかったのだなということを思う.やっていることは近くはあったのだけれど,近かった分自分はこれがやりたいわけではないということを感じてしまったのだろうと思う.内部の物理についての興味なしにブラックボックスとして取り扱っていることについて,モヤモヤとしていたのかもしれないと思う.物理現象としての面白さの文脈からしたら,問題設定はイマイチでだった.その分多くの人に受け入れやすい作品になっていたのだろうとは思う.物理現象への興味があるかどうかということは,その先生が情報系のインタラクティブな領域の出身だったことも影響していただろうと思う.自分自身の面白さはそこにあるのだろうと思うので,それを大切にしておきたいと思う.今にして思えば,あの先生と絡んだら作品を作ったとしても先生の名前になっていただろうし,それは回避しておいて良かったのだろうと思う.福岡にきてゆっくりと自分の作品を作るということにしておいたらいいのだろうと思うし,博士号を取得したということはそういった立場に関しても融通がきくようになるのではないかと思う.

それで,昨日のことでも書いておこうか.昨日は恋人と一緒に,福岡アジア美術館で行われているアーティスト・イン・レジデンスの成果発表展に行くという予定だけを建てておいて,あとは福岡にきて初めて博多の市街地に行くので適当に散策しようということにしていた.昼前にバスで呉服町というところで降りて,昼食を取れそうな場所を探しながらアジア美術館に向かう.休日だったからかあんまり店が営業していなかったのだが,一見事業所か調理場かと思わせるような尖った店構えの焼き菓子屋を見つけて,中に入ってパウンドケーキとクッキーをいくつか購入した.福岡にもこういった店があるのを見つけて嬉しく思ったりした.あじびに併設されているカフェでホットサンドとカレーを食べて,コーヒーを飲みながら所蔵されている本を手に取って読んでいた.昔の写真の本を見つけて値段を調べたら定価の4倍の値段で中古が出回っているのを見つけたり,福岡でアジア圏のアートフェアをやっていたらしいのだけれど,それがコロナ以降で再開されていないことを知ったりした.

特別展ではシルクロード展を行っており,賑わっていたが,エスカレータで一つ上の回のAiRの成果発表展へ.AiRの成果発表は広い部屋に作品が数展ずつ展示されていて,それほど凝ったものではなかったけれど,ちょうどいい情報量だった.市立美術館の方に滞在しているらしく,そちらでも行っている展示の方が濃度は濃かったかもしれない.そのままコレクション展に学生料金の百五十円で入る.さすがアジア美術館と名乗っているだけはあって一つ一つが強い作品たちだったが,現代アートという割には同時代性がもはやなくなっているのではないかと思ったりするが,それは特別展に期待した方がいいのだろうか.コレクション展の地続きで鑑賞した中国の切り絵の作品は,猟奇的で良かった.中国的な宇宙観が染み出していて,よい.見ているものは単に同じ形状の繰り返しでしかないのだけれど,それに宇宙を感じるのはなんとも不思議なことだけれど.展示を見終わった後にはもう一度カフェで休憩をして,少しだけ本を捲る.クレア・ビショップの人工地獄の1章目をパラパラとめくって,そろそろ出ようというのであじびを後にする.

博士論文の製本を自分でやろうと思っており,表紙に使う紙を探すために近くの紙屋をのぞいていくことにした.その途中にあった古い家を改装したギャラリーで行われていた,写真の専門学校生の展示を見にいく.荒削りで自分と同じくらいの力量のように思ってしまったが,しかし展示として形にすることができる分,彼らの方が何歩も先に進んでいるのだろうと思った.会場には,おそらく写真を制作した本人たちだろうけれど,高校を出たての印象を覚えるような女の子3人が雑談していた.恋人にマット紙と光沢紙は見分けられるのかとか,顔料と染料は作品からわかるのかということを聞いたりしていた.途中に見つけたパン屋でペーコンエピと食パンを購入して紙屋に向かうも,行く店行く店が軒並み閉まっていたので,結局天神まで足を運んだが3店舗回って全部空いていなかった.少し気落ちしながらも,近くにある行きたかった本屋に寄る.全国的に注目されつつあるローカル出版社が経営している小さな本屋で,サイン本がたくさんあった.京都の生協や書店でもたくさん見かけた本がこの会社で作られていてすごいことだと思う.トークも定期的に行っているようで,その成果を本にまとめたりと注目が出版にいいサイクルで回っている様子だった.平積みしている本は短歌や詩が多くて,学問的にはなりすぎないけれど,しかし知的な蔵書も奥の方に少しだけあったりするところが良い.大学院生くらいの少し大人びた学生たちが,コーヒーを飲みながら就活の話をしていたが,雑音として心地いい声音だったのでそれはそれで良かった.ベルクソンについてその本屋でのトークをまとめた本が出版されていて,Twitterだか書店だかで見ていた気がするので購入しておいた.

本屋を出て,恋人が行きたいといっていた中洲の映画館に向かう.2時間先の映画のチケットを購入して,近くのお店を散策して見つけた大衆焼肉のお店で食事をとってから向かった.見た映画は,脳の手術で子供になってしまった女性を主人公にした,ファンタジー冒険映画で,同時代的な価値観をうまくとりこんで多様なセクシャリティの肯定が印象深い映画だった.主人公の在り方は今までの主人公像を覆すようなキャラクターで面白かったが,すごく不安定な冒険をしているのに,主人公の非常識さによって,見ていて全く不安でないというのが不思議なものだった.むしろ主人公の非常識さが現実の不条理さを反転させてうまく噛み合ってるような感じで,気持ちよく物語が進んでいく.常識的な人間が不条理な現実に囚われている現状から,物語の中で解放されるには良い映画だったのだろうと思う.映画を見終わって帰ったら日付をすぐに回ってしまったのでお風呂に入って就寝した.1日の取れ高が多かったので,1時間くらいタイピングしていたのではないか.