「盆栽」と「編み物」

昨日は恋人に誘われて製本教室に行ってきた.教えてくれる人は製本をやるためにフランスに単身乗り込んできただけあって,知識の量と洗練された手つきに感嘆しながら楽しく手を動かしていた.

最近考えている技術と家庭の違いについて,朝になって考えが降りてきた.例えば「盆栽」と「編み物」の違いなのだろうと思ったのだ.両者は同じく,自分の手を動かして作るものであり,さらに人に見せて楽しむことが多い.しかし微妙な違いがある.

「盆栽」は購入し世話をするための経済力と余暇を持っていることの証明であるし,何かの役に立つものではなく飾りとして使用される.評価には様々な基準があるが,基本的には樹齢や大きさによって影響を受ける.「編み物」は,入門するのに百均で売っているような材料で事足りており,大きさや金額などの評価軸が重要視されない.お金と余暇を費やして巨大にしたり,高価な材料を使用することがそもそも意味を持たないことの方が多い.

「盆栽」に当てはまるもので一番に思いつくのは,カメラを趣味にしている人たちだ*1.機能性だったり様々な嗜好性はあるにはあるが,カメラやレンズの金額という一つの評価軸に基本的には縛られている.対して,「編み物」は写真を趣味にしている人たちだろう.デジタルカメラで日常の写真を撮影するためのコストはほとんどかからず*2,写真の印刷や展示,製本などの選択肢の中で手を動かしている.

「盆栽」はドラゴンボールスカウターのように.戦闘力という一つの軸で理解されてしまいがちである.そうしてみると,「編み物」はジョジョの奇妙な冒険のように,多様な能力としてバラバラの方向へと向かっているように思える.そもそもバトルを志向してすらいない.

様々な制作において,両者は完全に分離することはできず混同されている.同じジャンルの制作を行なっている人にも,「盆栽」として楽しんでいる人がいたり,「編み物」として楽しんでいる人がいる.別にどちらが好ましいというつもりはないけれど,相手がどちらを好んでいるかを理解しておくと,コミュニケーションが取りやすいのだろうと思う.というか,すでに普段からそうしている自分に気づいたりした.

  1. 主に最新のミラーレス一眼やライカを集めている人たちのことを想定している.古いフィルムカメラを集めている人などは微妙に異なる.
  2. SNSによくみられるように,遠方や貴重な場所に行くことによって経済力と余暇を示す場合もある