添削をやりすぎないこと

今は夜の22時くらいで,珍しく21時までいた研究室から帰ってきてシャワーを浴びた後にこたつで一息つきながらこの日記を書いている.今日もけっこういろいろなことがあったが,その割には落ち着いて過ごせていて良かったのかもしれないと思う.

はじめに恋人がドイツに出張に行くのを朝から見送ったのだった.と言いつつも,僕に歯医者の予約があったので朝のうちに出発する僕を恋人が見送ったので見送られたの方が正しいのだけれど.

出発してすぐに電話がかかってきて,歯医者からの連絡であることに気づく.もうそんな時間だったっけと思っていたら,どうやらカレンダーに登録する時間が1時間遅かったらしい.歯医者に到着すると疲れた顔のスマイルパートナーという肩書きの受付の女性が無愛想に対応してくれて,案内された先の歯科衛生士の方は今まで会ったことのない人だったけれど,こちらも「遅刻されたのでできる処置だけになります」とつっけんどに伝えられた.歯石を取ったり,フッ素を塗ったりしてもらって,フロスをしてもらうとかがなかったのだけれど別にそれはどちらでも構わないとは思う.処置が終わったら普通の愛想に戻った様子で,3月に引っ越しである旨を伝えて今回で最後ですねと笑顔で言われた.

いつもの様に生協で食事をとってから研究室に向かう.元日にインフルエンザにかかって休んでいた修士の学生が来ていたが,マスク姿で咳をして目が腫れている様子に驚く.体調は完全には回復していないらしいが,彼が体調を崩したので僕が添削していた学部生の原稿を,自分も確認すると言ってなにやらタイプしていた.

僕の方は博士論文の図をベクター形式にする様に言われていたので,もう8年前になるのか,初めて論文を書いた時の図のデータを探していた.パソコンも2回ほど乗り換えて,バックアップのハードディスクの移し替えなどもやったりしていたので,もう見つからないのではとぼんやりと不安に思っていたが,すんなりと見つかる.物理的でないデータは無くなってしかるべきだとなんとなく思っていたが,案外そんなことはないのだなと思う.どこに保存したかの記憶がこれだけ失われていても,見つかるのはやっぱり不思議だ.自分の行為によって作られたものが無くならずに存在し続けているということをたまに再発見すると,少しだけ嬉しくなるものだ.

修士の学生は学部生に指摘し始めたが,僕は学部生の発表の原稿だしまあいいかとするーしていたことを指摘していた.ページ数も少ないだろうし,発表でどうにかなるだろうと思って全体の構成までは介入することを控えていたけれど,しかし,修士の学生は気になったら言わないと気が済まないらしく全部伝えていた.残り3日間で指摘する内容ではない気がしたが,とりあえずは二人の関係性の中でどれくらい最後のもう一踏ん張りが出るかどうかということを見てみようと思ったので,あまり口出しはしないことにしておいた.明日どの様になっているかをぼんやりと見てみたい.

もう一つ僕が細々としたことをあんまり指摘しない理由は,後で教授が確認する時に僕が指摘したことを教授がひっくり返されることを避けようとしているのだろうと思う.学生が板挟みになって悩むことがない様にするというのが建前ではあるのだけれど,半分くらいは自信がないということの現れでもあるのだろうと思う.今回は重要な原稿ではないのでまだ大丈夫だけれど,また違う機会には自分の意見を曲げない様にすることくらいはできる様になった方がいいのだろう.