博士論文を日本語で書くこと

今日は土曜日だったのでいつもの様に目覚まし時計をセットしないで朝日と生理現象で目を覚ますのを待っていた.結構変な夢を見ていて,世界一周する船になぜか乗っていて,その中で論文を作ったり,もしくはカメラで写真を撮るとかそんなことをやらないといけない様な気がしていた.船といったものの,日本を出てからなぜか離陸しておそらくロシアのどこかの港についてそこで宿泊していた.途中でなぜか3次元のドット絵になってドラクエの世界観になったことは覚えている.寄港地では何かしら現地の人か乗組員かわからないが交流していた様子だったけれど,なんとなく噛み合っていなかった.ロシアの港を出発して,次の港についたのだけれど,そこは郊外型の既視感のある巨大なラブホテルの様な場所で,なぜか自分では日本に帰ってきたのだと合点していた.港で荷物を下ろさないといけないらしく他の人々が下船手続きを進める中で,自分だけはスーツケースを船内に仮置きしていた場所で探し回って,下船の時間に間に合わないので焦っていたのだった.船の床や壁はふやけた厚紙紙でできているかの様にふにゃふにゃで,足元を掬われながら荷物をどうにか見つけて怪訝な顔をされながら手続きをやって外に出た.外に出ると港の景色から飛んでしまって,一面薄茶色のススキの野原で遠くの土手の上に誰かが車を待っているのが見えた.僕もそこに行って目的地に向かわないといけないということを思っているうちに,目が覚めたのだった.

ここから日常の記述に入るのだけれど別に構わないか.トピックが飛び飛びになることは別に大丈夫だろう.とりあえず試しではあるし.

昼過ぎに研究室に行くと,土曜だというのに学部4年生の学生がいたので,少し喋る.ちょうど,関西圏の小さなコミュニティで行われる卒業研究の発表会の原稿の修正を頼まれていたので,30分だけコメントをつけて送ってから内容を対面で解説した.原稿の修正のタスクをやっているとなれていない相手には言葉尻では敵意を感じさせてしまうことがよくある,というか自分がそれを勝手に感じて落ち込むことが多いので,自分は味方であるというスタンスを適度に示しながら伝えていく.幸いなことに学部4年の学生は,自分である程度仕上げてから送ってくるタイプの学生で,指摘をする時にもたくさん言葉を探さないでも向こうで拾い上げてくれる様子なので気持ちよく指摘することができた.

それから自分の博士論文のことを合計3時間ほどだろうか,作業していた.3人の教員から言われたことをとりあえず原稿に反映させることにして,作業に集中できる様にしたところで終わったのだった.一番年配の教授は最低限間違っているだろうということだけを指摘してくれていて,直属の教授がガッツリ内容についての指摘,准教授は一般的な論文の構成についての意見をくれてゆるい役割分担がなされている.そのおかげで,それぞれで言っていることが違うということはあんまり起こらないので,かつていくつかの人たちで見てきた様な大変さはないのでそこは楽だと思うのだ.

そういえば,この前,香港の大学で博士号をとったポスドクの人と喋ったが,博士論文の審査では国外の教授を含めて審査してもらうのが普通であるとのことだった.国内の大学の博士課程で,僕の分野では聞いたことがない話ではあったし,というかそもそも博士論文を日本語で書いている時点で国外の人間が読むことができないので審査のしようがない.他との比較はあんまりできていないけれど,日本のアカデミアが内向きであるというよく言われる話と,ふんわりと出会ったようだ,

とはいえ,僕自身はというと博士論文を英語で書くということについてはそんなに意味はないと思っている.自分のいる分野の特徴かもしれないが,博士論文で新しいことを言う必要というのはなくって,すでに論文化したかもしくはこれから論文化ができる内容をまとめているだけではある.そして特別の理由がない限り,英語で論文を書いているだろうし,その査読プロセスでそれなりに英語での論文作成のプロセスは踏んでいるわけではある.非ネイティブの執筆者と審査員が英語でロジックを揉むことほどよくわからないことはない.もちろん,執筆者ないし審査員が英語で行うべき理由があるならともかくとして,博士論文のアウトプットが英語であることが望ましいとするスタンスは,よくわからない.

また何か大袈裟なトピックについて小難しく考えようとしているので,ここら辺でやめておこう.この時代なので英語で書けるならば英語で書いてネットにアーカイブしておいた方が,遠い国の誰かが見つけて科学の発展に貢献できるとかそういったご利益はいくらでもある.英語 vs 日本語の論争に関わることはめんどくさいのでここらへんでやめておくことにしよう.